舞風 暁羽

キアロスクーロの戯れ


「「おはようございます」」
「おはよう」

 朝焼けが空を焦がす少し前。じきに夜明けだというのに食堂へ下りてきた双子のヴァンパイアを迎えたのは、黒衣に身を包む妙齢の魔女だ。

「今朝は早いんですね」
「これから寝るところさ」
「「不健康な」」

 顔を顰め声を揃えた双子に、お前たちがそれを言うかと、魔女は肩を揺らす。
 双子は再び声を揃えた。

「「ヴァンパイアは元々夜行性です」」
「知ってるよ、そんなこと」

 機嫌の悪さが滲む声で答えたのは魔女ではない。いつからそこにいたのか、開け放たれた扉へ凭れかかるようにして呪屋が食堂の入口に立っていた。

「おや、珍しい」
「貴女がこんな時間に起きているなんて」
「僕だって好きで起きてるわけじゃない。それに、もう寝るよ」

 その言葉どおり、呪屋は食堂へ入ることもなく踵を返す。
 双子は互いに顔を見合わせ同時に肩を竦めた。一体何をしに来たんだと、魔女も首を傾げる。

「徹夜するほど大変だったのかな…」

 新たに話へ加わったのは、厨房から現れたエルフだ。

「主語」
「え? …あぁ、仕事ですよ。し・ご・と」

 魔女の発した言葉の意図が掴めず呆けたエルフは、少し遅れてそう返す。それに得心行ったとばかりに、他の三人は頷いた。

「「今度は誰を呪ったんだか」」

 嗚呼恐ろしいと、双子は心にもないことを言いながら揃って肩を抱く。

「ここでたった一人の《真人間》だっていうのに」
「もう少し《普通》っぽくできないんですかね、」
「「彼女は」」
「大体彼女は人間としての自覚が足りないんですよ」
「放っておけば平気で食事を抜くし」
「酷い時は睡眠もろくにとらない」
「しょっちゅう厄介事を持ち込むし」
「用事がなければ部屋から出ても来ない」
「この間なんて――」

 止まらなくなってきた双子のぼやきに、魔女はふとひらめいたような顔をして手を上げた。

「なら迎え入れればいい」

 言葉と共に生まれた魔力に、双子は口を閉じ魔女の手元を注視する。
 指先を覆ってもまだ長い袖の先からちらと覗いた爪は、マニキュアで黒く艶やかに息を止めていた。

「お前たちが考える《普通の人間》を、ここに」

 手首を軸にくるりと円を描いた次の瞬間、魔女の手に一つの鍵が現れる。魔力を使って空間を抉じ開けたとは思えないほどの鮮やかな手並みに、双子だけでなくエルフまでもが目を輝かせた。

「…どうする?」

 そ知らぬ顔で魔女が笑う。
 双子は顔を見合わせるまでもなく手を伸ばした。

「「思い知らせてやりますよ」」

 それは、朝焼けが空を焦がす少し前の出来事。




次は「れ」
ポップなプロローグにしようとして撃沈

いらく


 誰がそう決めたのか、その《箱》は《パンドラ》と呼ばれていた。世界に災厄を撒き散らす神々の贈り物、と。
 開けてはいけないものと誰もが知っていた。だからこそ触れられずにいた。けれど神々のいた時代から幾千の時が過ぎ、神と人が共に暮らした時代が御伽噺とされて久しくなると、その箱の冠する名の持つ意味を畏れ敬う者はいなくなってしまった。
 人々は好奇心にかられる。語り継がれた物語の通りに。

 そして箱は開かれ、災厄は撒かれた。





「その上、最後の希望まで逃がしてしまったんだから、とんだ笑い種だな」
「…そうですね」

 言葉とは裏腹に、ウトガルド・ロキの声は柔らかい響きで大気を揺らす。上機嫌なかつての主[アルジ]の傍らで、ビューレイストは彼の腕の中を盗み見た。

「私たちにとってはこの上ない僥倖でしたが」
「あぁ」

 そこには、あらゆる意味での《希望》が眠っている。ビューレイスト自身やウトガルド・ロキにとっては勿論のこと、これからの世界にとっても、《彼女》は必要不可欠な存在だ。

「二度とこの腕に抱くことはないと思っていた。だからせめて、共にいようと望んだ」
「けれど運命は歪曲しました」

 もっとも、二人には世界に希望を与える気など更々ありはしない。二人にとって重要なのは、《希望》がその役目を果たすことではないのだ。

「もう二度と、その手を放さないことです」

 その《存在》を守ることが出来るのなら、他の何を――たとえそれが世界であろうと――犠牲にしても構いはしない。

「無論だ」
「…貴方には無用の忠告でしたね」

 その一点において、二人の意見は一致していた。

「なら私は行きます。規格外な貴方と違って、この世界へ留まるには器を必要とする身なので」
「あぁ」

 だからこそ安心して離れることが出来る。互いの胸に再会を危ぶむ気持ちは微塵もなかった。

「ではまた、」

 ただただ心待ちにしている。

「「魔女の棲む森で」」

 解き放たれた希望の目覚めを。





次は「く」
さりげなくシリーズタイトルを入れてみた
(怡楽[いらく]:喜び楽しむこと)

WeEkEnD Of WiTcH


 見かけよりも長く生きているというのは厄介だ。なまじ――成り行きで、仕方のなかったこととはいえ――学校で学生なんてしているせいで、私の意識なんて関係なしに周囲からは《子供》として扱われる。本当は年下の先輩も、教師も皆そうだ。誰も彼もが私に《十六歳の学生》相応の接し方をしてくる。
 確かに、過度の期待を寄せられないのはありがたかった。だけど無意味な《子供扱い》は、人の愚かさを思い知らされるばかりで忌々しくもある。
 私はきっと、ここに《いるべきではない》存在だ。元々人ではないし、人であることを願ったこともないのだから、いつ強制的に人の世から排除されようと文句は言えない。言わない。でも心のどこかで人を羨ましく思ってもいる。
 このささやかな憧憬を、一握りの人間が犯す愚にもつかない《大人主張》に穢されたくはなかった。

「あるじさま、おじかんですよ」
「…先に行っててくれるかい?」
「はい」

 よって、必要に迫れれた私は結論付ける。

「私はもう少しここにいるよ」

 人は、付かず離れず眺めているのが丁度いいのだ。





 私を《あるじさま》と呼ぶ少女が校舎に消えて暫くすると、午後の講義の始まりを告げる鐘が鳴り、残っていた何人かの生徒も中庭から姿を消す。比較的隅の方で寛ぐ私は誰に見咎められることなく、その後中庭を通りかかった教授にも気付かれず穏やかな午後に浸った。
 だが、平穏というのは総じて儚いものだ。

「ヘニル、起きてる?」

 うとうととしていた所に声をかけられ、私は内心不機嫌になりながら目を開ける。俯いていたせいで視界に入った影は短く、後は伸びるばかりだろうが、夜へ溶けるにはまだ時間がかかりそうだ。

「ヘニル?」
「……起きてるよ…」

 少し、寝ぼけていたのかもしれない。

「頼みたいことがあるの」

 夜明け前、世界を包む霧の匂いがした。夜明けどころか夜さえ遠い今、そんなものあるはずがないのに。

「…君か」
「漸くお目覚め?」

 嗚呼、やはり私は寝ぼけていたのだ。ついさっき、私の目の前で微笑む少女が現れた時から、この場は《夜明け前》となっていたのに。

「私に頼みだって? 珍しいじゃないか」
「陛下からの勅命を受けたんだけど、一人で行くなって釘を刺されちゃって」
「騎士なら事足りているだろうに」
「生憎、黒猫は留守なの」
「それはまた珍しい」

 《白い黄昏》を纏う少女は、その言葉の通り黒い愛猫を連れてはいなかった。けれど、目に見える存在に頼らなければならないほど、彼女を守る存在は生半可な力の持ち主ではない。媒体たる猫は単なる威嚇と牽制だ。

「週末、付き合ってくれない?」

 自身も高名な《魔術師》である彼女に、そんなことがわからないはずもない。

「喜んで」

 必要とされることは心地良かった。高慢で自尊心ばかり強い神々とは違って、人は手を取り合うことの意義を知っている。
 私たちは、望まれた時にだけ力を揮っていればいい。想いは届くのだと人が信じられるよう、心を砕いていればいい。

「君の《騎士役》が出来るなんて光栄だ」

 だから私はここにいる。付かず離れず、居心地のいい距離を探してまどろみながら、いつだって望まれることを心待ちにしていた。

「貴方は立派な騎士よ、ヘニル」

 そしていつか、この証明の先、君が微笑んでくれることを願い続けている。




次は「ち」

メランコリア


 光はなかった。ただ闇が広がっていた。それが世界のあるべき姿だと考えることにしていた。光はない。必要ない。だから私は闇に抱かれて今日も眠る。長い眠りと短い覚醒を繰り返していた。他にすることもない。いつか変化があるのではないかという期待は初めからなかった。こうなる前に絶望と共に閉ざされていたのだ、私の世界は。
 嗚呼何故、私たちでなければならなかったのか。何故、引き離されなければならなかったのか。何故、あの時手を離してしまったのか。
 愛する人の名さえ奪われ、私は何故生きてる。私が私を《私》と認識できない《真名の檻》の中で、私が個であり続ける意味がどこにある。
 傲慢な神々が欲したのは《器》であったはずだ。入れ物に心は必要ない。ならば何故、私はまだ思考している。
 嗚呼、誰か私を消してくれ。そうして永劫続くこの苦しみか解き放ってはくれないか。愛する人の名さえ思い出すことも叶わない無力な私に、僅かでも心動かされたのなら、どうか。

 私を私でなくしてはくれまいか。





次は「あ」
最近の俺

随従者の戯事


 初めてその姿を目にした時は、本当に魔族の子供かと思った。そんなものがヨトォンヘイムにいるはずはないのだけれど、そのくらい、彼女は人間離れした魔力を有していたから。

「どこで拾ってきたの? それ」

 当然といえば当然の問いかけにも答えずに、貴方はただ彼女を傍に置いた。食事を与え、力の使い方を教え、剣の相手をし、それまでの根無し草が嘘のように住処を決めて。
 単なる気紛れだと思っていた貴方の周囲がざわつきだしたのも丁度その頃。以前とはどこか変わってしまった貴方を嘆いて何人もの同族が彼女を狙い、ある時は貴方、ある時は――信じがたいことだけど――狙われた彼女自身の手にかかり命を落とした。


 そうして誰もが、彼女が《特別な存在》であることに気付いた。


 私が本当の意味で彼女と出会ったのはそれから何年も経ってからのことだけど、あの日のことは今でも忘れられない。
 何百年かに一度、退屈を持て余してやってくる貴方のお兄様が彼女に目をつけて、貴方が留守の間に彼女を攫い、あまつさえ貴方を足止めするために罠を仕掛けた。《真名》によって編まれた切れるはずのない鎖を引きちぎってまで彼女の元に駆けつけた貴方は満身創痍で、そんな貴方に貴方のお兄様は初めて敗北する。
 リーヴと、彼女は貴方をそう呼んでいた。そしていつの間にか貴方の真名はすり変わっていたのね。本来真名であったはずの名は意味消失し、彼女が呼ぶリーヴという名だけが、貴方を縛る鎖となった。
 それはとても恐ろしいことだとあの時の私は思ったけれど、今はとても素晴らしいことだとも思えるようになったのよ。だって貴方たちの純粋で不器用な気持ちは、アースガルズの神をも退けたのだから。
 なのに貴方は彼女を手放してしまった。本当の意味で手放してしまったわけではないけれど、それまで一緒にいることが当然だったのに、易々と手の届かないところへ送ってしまった。

 彼女が本来いるべき世界、ミズガルズへと。

 彼女は泣きも喚きもせず、ただ貴方の言葉を受け入れてヨトォンヘイムを去った。でも私は知っているの。彼女は魔法陣に入ってから一度だって貴方から目を逸らしはしなかった。ただひたすらに、貴方だけを見つめていたのよ。
 彼女がいなくなってからの貴方はまるで抜け殻のようで、誰もが貴方の過ちを悟ったわ。なのに誰も、何も言わなかったのは、貴方の気持ちも十分に理解できたから。
 貴方の傍にいたから彼女は狙われた。同じ巨人族相手なら貴方も彼女を守ることができるけれど、相手が神だとしたら結果は分からない。貴方は確実に彼女を守りたかったのよ。だからなるべく危険から遠ざけようとした。危険、つまり貴方自身から。
 本当に愚かなことよ。貴方を慕う巨人族の誰もが貴方の隣に彼女がいることを暗黙の内に認めていたのに。貴方が一声かければ、きっと多くの同族が彼女のために力を揮ったはずよ。私たちは神を恐れたりはしないのだから。


『ウトガルド・ロキは死んだ!』


 そしてついに貴方は我慢できなくなって、彼女の後を追うようにヨトォンヘイムから姿を消した。私たちは声を上げて笑ったわ。そんなに心配なら初めから手放さなければよかったのにと、なんの嘲りも含めずに。
 残されたのは貴方を殺した気でいる若造と、彼女を知らない若輩と、貴方を慕う私たち、灰色の空。
 見守りましょう、いつまでも。貴方がもう少し《大人》になって、私たちに気付くまで。この灰色の空の下で祈りましょう、貴方と彼女がいつまでも一緒にいられるように。それまでは偽りの王の下で暮らしましょう。ですが心は貴方とともに。





 我等の王よ。





「魔女の棲む森」より巨人族の女・ノスリヴァルディ
次は「と」
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